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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1992-03-12 第123回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

実は、もう言うまでもございませんが、炭労中心にいたしました炭鉱労働者組合政策転換闘争を闘って、その成果を受けまして昭和三十六年から日本における石炭政策がスタートをして三十年、さまざまな歴史を繰り返してきた。八次政策はこの三月で終わりますけれども、この五年間、あえて多くを申し上げませんが、これまたさまざまな体験をそれぞれしてきたと思うのであります。

中沢健次

1992-03-05 第123回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第4号

そして、我が国の石炭政策を振り返ってみますと、政策転換闘争で一万人の炭鉱労働者東京に集まって以来、ちょうどことしか三十年目の年になるのであります。そういう意味で、第九次政策の出発は、三十年間の政策歴史を受けて第九次政策展開をされるということになるのでありまして、私自身にとっても、そういう意味では非常に感慨無量なものが実はあるのであります。  

岡田利春

1970-12-09 第64回国会 衆議院 逓信委員会 第2号

いろいろ御質問がありまして、御答弁を伺ってまいったのでありますが、私は主として、いまの労務政策転換闘争によります全逓超勤拒否及び休暇闘争、こういう事態が非常に深刻な様相に、時期を含めまして進んでおる、たいへん大臣は深刻な事態の中で御考慮をされておるというふうに理解をいたしておるのでありますが、四月に解決をされました全逓宝樹及び当局側とのいわゆる協定がいまだに実施がされないということで、それの実施

栗山礼行

1970-09-11 第63回国会 衆議院 逓信委員会 第16号

あの問題は積年にわたる官側組合とのなれ合い高級官僚下級官僚なれ合いが今日の結果を招いたのである、迷惑をこうむるのは国民のみで、またやったか、それでふにゃふにゃとして妥結をしたんだ、こういうような国民的な疑惑と不信が、本年の東京の、あるいはまた労務管理、あるいは労働政策転換闘争の名によります諸問題の国民的評価をなしております。  

栗山礼行

1967-05-17 第55回国会 衆議院 大蔵委員会 第13号

○武藤(山)委員 七年前に私も多賀谷真稔さんと、何とかプール資金をつくって、石炭政策転換闘争をひとつうまくまとめたいということの相談を受けて、関税の問題をプールしたらいいじゃないか、こういうようなことを相談をした覚えがあるわけです。当時の雇用問題という視点からそういう意見を述べたわけです。

武藤山治

1964-05-12 第46回国会 衆議院 国際労働条約第八十七号等特別委員会 第6号

国との話し合いは「政府教育政策に介入し、政策転換闘争を強化する計画」である、こういうことを強く主張して、さらに「日教組の威信を示威し、脱退を防止できるとしている。総じて倉石修正案は、日教組組織補強のためには不可欠のものである」ということを彼らは言っておるじゃありませんか。これは同じように自治労も考えておるのであります。

永山忠則

1964-02-07 第46回国会 衆議院 運輸委員会 第5号

そこで泊谷君が、特にその意味で北海道の国鉄が主として使っておる石炭購入代金の問題について、国鉄が買い上げておる炭価というもの、これはいわば石炭業界との関係で、あまり公共性というようなものは考慮されないで、いわゆる石炭産業の立っていくということを前提にして、石炭産業に対する政策転換闘争炭労首切り問題に関連して、一昨年でありましたか、議論になりましたときにも、やはり国鉄用炭の買い上げと自然増、そういうようなものを

田中織之進

1964-01-24 第46回国会 参議院 本会議 第5号

(拍手)総理は、炭鉱労働者政策転換闘争にこたえて、抜本的な石炭政策の確立を約束しました。しかし、現実の山をごらんなさい。従来にも増して、低賃金労働強化と、そして災害の危険を深めているのであります。労働者たちは前途の生活不安をもあえて顧みず、なだれを打って山を去っているではありませんか。私は、炭鉱労働者の生きている山々に、限りない政治への不信の声を耳にするのであります。

米田勲

1963-06-12 第43回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第23号

私の前任者、前々任者がどういうふうにしたか知りませんが、再就職計画が非常に大事だということになったのは、去年の四月のいわゆる政策転換闘争その後の有沢調査団内閣総理大臣による任命、その答申、それを受けた昨年の十一月二十九日の閣議決定石炭政策大綱、これによって問題が新展開をしたわけでありますから、法律上はこれで読めるということははっきりしておると思います。

中野正一

1962-12-13 第42回国会 参議院 本会議 第4号

炭鉱労働者が、昨年九月政策転換闘争を組んで以来、私どもは、総理の口から直接「善処する」という言葉を、何度聞かされたかわからないのであります。その善処の結実が、実にこの四法案だとすれば、一体、政治は何のために行なわれているというべきでありましょうか。石炭対策決定版を作ると言った石炭鉱業調査団は、先日、本院における阿具根議員の指摘するとおり、首切り決定版を作ったのであります。

柳岡秋夫

1962-10-18 第41回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第7号

この石炭政策転換闘争が行なわれましたのは、昭和三十四年度に、石炭鉱業審議会基本部会において、三十八年度目標として千二百円ダウン、労働者は約十万名の首切りで十七万五千、能率は月二十六トン、これを目標にして発表されたことが契機になって闘争展開をされた。労働者の抵抗にもかかわらず、実際はその方向に進んだ。

多賀谷真稔

1962-08-24 第41回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第2号

最初に、今、企業局長から御説明のありました石炭鉱業調査団でございますが、これは御承知のように四月六日に、この春の炭労中心といたしまするいわゆる政策転換闘争これの収拾策といたしまして、四月六日に閣議決定がございまして、これがまあ現在のいろいろ問題になっておりまする石炭政策あり方石炭鉱業あり方についての基本の問題を決定いたしておりますので、御参考のために次のページに(参考1)といたしまして、四月六日

中野正一

1962-08-24 第41回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

特に最近いわゆる雇用の安定問題というものをめぐりまして、政策転換闘争というものが行なわれておる。政府が無原則といいますが、これに妥協し、追随するような態度でありまして、これが石炭産業に一そうの混迷を加えつつあるやに思うのであります。  今後の問題といたしまして、私は、石炭産業をどこにひっぱっていくかということについては、三つの方向があると思います。  

始関伊平

1962-04-19 第40回国会 参議院 商工委員会 第24号

これは政府が四月五日以降の政策転換闘争に対して無期限ストを回避するためにとった措置と、私は中労委が四月十日以降の賃上げの無期限ストに対してとった措置というものは全く同じ考え方だと思うのです。公共機関という立場において全く同じだと思う。私はそういう立場から見るならば、佐藤通産大臣がこういう談話で問題を避けておられるということは卑怯なことだと、私はこう思うのです。

田畑金光

1962-04-19 第40回国会 参議院 商工委員会 第24号

あるいは組合側事前に交渉したことも実はないわけでございますし、また政策転換闘争ということではございましたが、これは社会党と直接折衝すると、こういうことでもない、与党と直接話し合うという非常な緊密な連携をとったことでもございませんし、また民主社会党の方とも事前話し合いというような形はとったわけではございません。

佐藤榮作

1962-04-19 第40回国会 参議院 商工委員会 第24号

そういうふうにしていきますというと、われわれのほうとしては、大体においてできると思っておりましたが、さらに、先般の炭労政策転換闘争に関連しまして、労働省として考えましたのは、そういうふうに乗せるけれども、やはりなかなか乗りにくい人があるということで、失業多発地帯につきましては、失業保険の給付を一カ月さらに延ばす、それから終閉山以外で第二会社を作る場合には、これは中高年令層がおもになりますので、その

三治重信

1961-10-26 第39回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第12号

また、もっと端的に言えば、現在の合理化政策を考えるについて、首切り賃金の引き下げだけになっておるこの政策をやめてもらいたいというのが、これが政策転換闘争の精神でもあり、われわれの考えておる最も妥当な当然の結論だと私は思うのであります。またこのことは、現在の石炭山を見ますと、一面においては賃下げが行なわれ、一面においては首切りが行なわれておるが、他面において青年や技術者の諸君は山をおりてしまう。

勝間田清一

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